item 動画、遺書。

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written 2012/11/11

 先日書いた「Context of Water」を早速改訂し、予定どおり動画を作った。やや長尺の曲なのでポエムのような、「よくわからんけど意味深っぽい言葉」を付加して。私のやけっぱちみたいな英訳を、お忙しいのにご親切にも、hiro banriさんとTadashi Maedaさんがまともな英訳に直して下さった。ありがとうございました。
 言葉が加わることで、楽曲そのものにはない謎のメッセージ性をもった「パッケージ」となった。私はこの動画作品を、楽曲とともに「遺作」と考えている。

「遺作」と言っても、住宅ローンはまだ10年以上残っているし、自殺では生命保険も出ないし、周りに迷惑をかけるので自殺はできない。そこで単に「事故死」あるいは、「犯罪現場で、誰かを助けるために犠牲となっての、かっこいい死」あるいは、「あまり苦しまないであっさり逝ってしまう突然の病死」を待っているだけだが、なかなかそういうチャンスは来ないようだ。
 この曲を書いて「終わった」という実感が強いのはなぜだろう。何かをやっと達成したと同時に、巨大な壁面に体当たりし、もはやここ以上は先に進めない、という実感である。

 作品を仕上げて「終わり」を感じたことは、これまでにもあった。
残酷な小曲集」(2007)のときは、ヨーロッパ古楽(ルネサンス、中世から古代のものを復元した演奏)や世界の民族音楽に引き寄せられ、そこで生まれる「歌=旋律」それ自体の強度や暴力性を取り戻すことにとりあえず成功し、近代ヨーロッパ的なロジックや感性から脱却して、「自由を勝ち取った」という意識にかられたのだった。それは和声や対位法という規範性から逃れ出るような「自由」だった。
 そしてあのとき「自由」を獲得したがゆえに、「もはや、最低限なすべきことはなしとげた」という思いから、作曲活動をやめようかと、しばらく迷った。

 今回の場合はどこに到達したかというと、「現代音楽らしさ」の入り口まで届いた、ということかもしれない。この「Context of Water」の中程にあるピアノ・ソロの部分がそれで、憧れのクセナキス的感触、の片鱗に触れた気がした。コンピュータを用いたランダム的要素を導入したわけではないが、意図的にランダムな肌合いの音選びを試み、ある楽節は全然別の楽節といつでも交換可能であるような、非=ロジック性を垣間見た。
 ヤニス・クセナキスの、推計学を用いコンピュータ・プログラムで組み立てられた音素材の活用、シュトックハウゼンの「比」により計算された音楽、ピエール・ブーレーズの全面セリー。ある意味では、「現代音楽」とは、主観的なモノローグとは対照的に、数学的厳密さで音列を構築していくという、「他者的な言語体」の創出の試みであったろう。ミシェル・フーコーが「主体の死」を語ったとき、確かに、あの時代の芸術界でも、従来型のアイデンティティ、理路整然としたあるいはロマンティックな「主体」は抹殺されようとしていた。
 しかし私の出自は文学少年なので、どこまでも「主体」という軸を脱却することはできない。そのための数学的な作曲理論というものには、向かうつもりはない。むしろねじ曲がり致命的な手傷を負った「主体」という、それ自体矛盾として存在をし続けるなにものかを形態化する手段を発見したいと思っている。つまり私と「現代音楽の先端」とのあいだには、手法の上で決定的な隔たりがあるわけだが、今作ではその殻をわずかに破り、「他者的な響き」に、部分的には届いた、と感じたのである。しかもその他者性とは、やはり主体にとって「死=無」であるような瞬間なのだ。だからこの動画には「死=無」の匂いを漂わせようという試みがある。
 そしてまた、たとえほんの入り口にすぎなくても、「届いた」ということは、作者であるよりも音楽上の探求者である私には、ひとつの「終わり」なのだ。

 したがって今回の曲を公開し、動画まで作ったのは、遺書を書くような気分だった。だからYouTubeでついに、あえて「実名」までさらす潔さを発揮した。それは私にとっては、ネット上での存在者の自殺行為にほかならない。「名」をもつことによって私は他者たちのなかに飛び込み、を覚悟するのである。

 これは、遺作だ。しかし本当の意味での「死」はなかなか来そうにないし、作曲者としての生涯を閉じることまでは、まだ決意していない。ただ、何かが終わったのだ。ここから何を始めるべきか、今はわからない。作曲の新しいアイディアはないわけではないが、「書かなければ」という強迫的な衝動は、今はない。むしろ、このまま「無」の暗闇に還っていきたいという気持ちが強い。
 しばらく待って、何かが始まるのか、結局単にダラダラと今までどおりの行動を繰り返すだけなのか。まだ何も決めていない。なるようになるだろう。しかしこの「死=無」との接触を忘却したくはない。

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