バッハのフーガはなぜこんなに私たちを駆り立てるのか?
J.S.バッハが、彼に先立つ様々なもの・彼と同時代に存在する様々なものを「総合し」、膨大な数のフーガ/対位法作品を書くことで到達した地点とは何だったのか。
一般に、フーガ音楽には2つの規範が並行して存在するように見える。
一つ目は、「表出される心的ドラマを叙述する楽曲タイプ」。
二 ...(全部読む)
written by nt, 2003/8/23
[textes/批評]
2003年の「前奏曲とフーガ・4」を書いてから考えたこと。
しかし、「前奏曲とフーガ・4」で私が行ってしまった場所では、すべてが混然としながらも、最初から最後までが単純な構成原理に則っている、という現象が起きている。
この曲のフーガを書きながら実感していたのは、「なぜ、フーガなのか」ということだった。
この曲の前奏曲部分はこのままではあまりに ...(全部読む)
written by nt, 2003/6/24
[textes/notes]
新しいフーガを模索した作品。
composed & played
by nt, 2003/7/19
[musique/composition]
ドストエフスキー作品の重層的な構造は、すぐれたフーガのそれと感触が似ている。
Dostoyevski, Fyodor Mikhailovich (1821-1881)
くろぐろと重い文体で、とにかく重量的に迫ってくる。心理描写も非常に鋭く、人物たちが生きて動いている。作品は重層的で、読むものの心をかき乱すようなところがある。
ドストエフスキーのキーワードは「意識」だろう。彼は「人格」ではない人間の実態を描き出すことに成功した最初の作家だ。しかもその「意識」は、相 ...(全部読む)
written by nt, 2003/9/6
[textes/批評]
どうも自分のやろうとしていることの整理がついていないのだという気がした。
そもそも、なぜフーガなのか? との問いに、いまだに答えることができない。
バッハのフーガの意義さえつかめば、どうしてもフーガでなければならないという理由はない。
ヒンデミットのように、とにかくひたすらフーガに向かう ...(全部読む)
written by nt, 2003/6/16
[textes/notes]