ナボコフ『ロリータ』
written 2003/11/9 [ updated 2006/5/26 ]
ナボコフ著、「ロリータ」(1954)を再読した。
「ナボコフ? あー、ロリータ書いた人ね・・・」などという人が多いだろうから、この作品の存在は作者の評価にとってあまりありがたいとは言い切れないものかもしれない。
異様な物語を好む傾向が、もともとナボコフの中にあるのだろうがちょっとこの作品はセンセーショナルすぎたのではないか。
小児性欲とよばれる「異常心理」は、こんにちではちっともありふれておらず、日本中のそこかしこでもこの種の事件が勃発していて珍しくない。もっと珍妙な犯罪事件が街中にあふれているから、いま小児性欲について云々することは洒落にもならないが、それでも、この小説を読み始めた読者はこの主題にばかり心を囚われてしまうだろう。
そのため、ナボコフ小説のもつほんとうの核心が見えづらくなってしまうに違いない。
私はこの作品がナボコフの傑作だとはおもえない。・・・物語の色が強すぎて、エクリチュールの精緻さがおもてに出てこないからだ。
ナボコフが得意とする、あの独特のパズル要素は、「ロリータを連れ去ったのはだれか?」という筋に顕著だ。これはほとんど推理小説のようなしかけで、冒頭の箇所からずっと伏線があるわけだが、こういったナボコフ特有の、物語から絶えず逸脱しようとするエクリチュールの遊戯が、どうも物語自体の「おもしろさ」のために抑圧されているように見える。
ひごろフロイトやフロイト一派を心底軽蔑しているナボコフは、この作品ではことさらに「精神分析」を誘い出そうとするかのような素振りを見せる。これも、ナボコフを知らない読者に誤解を与えるだろう。
「ロリータ」は一度ざっと読んだだけですませてはいけない本なのかもしれない。