ナボコフ短篇全集
written 2003/10/12 [ updated 2006/5/26 ]
「ナボコフ短篇全集」を読みふけっていた。
全2巻、作品社刊。
ちょっと厚くて重いこの本は、定価もちょっと高めだ。
全集というものの醍醐味だが、通して読んでみると、作家の成熟の過程がよくわかって興味深い。とはいえ、最初のころの作品(22歳以降の作品が収録されている)は、どうしようもなく未熟であり、これだけとって見ると箸にも棒にもかからない代物だ。しかし後年のナボコフを知っていれば、この作家のエクリチュールの変移が興味をそそる。
青年時代に詩を書きまくっていたこの作家はかなり意識的に「詩的な文体」をひねり出そうと苦労している。ナボコフの文体はさまざまな技法によって、みずからのなかに無数のイメージを抱え込もうとする。
この文体の美しさはイメージの奔放な横溢にあるわけだが、後年、ナボコフはもっと、言語機能自体の作用の探究に没頭しているようにも見える。だが彼は実験家ではない。その小説は最後まで「愉しさ」から逸脱することはない。
筋や人物などの造形よりもむしろ、エクリチュールそのものが文学作品の中心となっていく、という意味でナボコフは優れて現代的なのだが、日本にも驚くべき文体の持ち主がいる。
古井由吉氏である。この人の文体は本当にすさまじい濃密さに到達しており、ちょっと類を見ない。
だがナボコフと古井由吉氏とを比較するのは突飛だろう。ムジールから出発した後者は観念論的な体質をまずは持っている(後年、自己のそうした部分を意図的に消去しようとしているようだ)。ナボコフの美意識はちょっと人工的なところがある。それがナボコフ文学に奇妙な感触を与えているのだが。
「ナボコフ短篇全集」に戻ろう。
はっきり言うと、面白くなってくるのは1巻の後半からだ。あとで読み返すときの参考にするため、特に印象深かったものを挙げておく。(これら以外はつまらなかったわけではない。ある時期以降のナボコフ短篇は、むしろどれも良いと言うことができる)
1巻から−「じゃがいもエルフ」「オーレリアン」
2巻から−「ナボコフの1ダース」に含まれる諸作、「ヴェイン姉妹」。
特に「ヴェイン姉妹」は忘れがたい構造を示している。
ナボコフの「青白い炎」という(代表作とされる)長編が日本では廃刊となっていたが、まもなく「ちくま文庫」で復刊するらしい。とても喜ばしいことだ。
筑摩書房みたいな良質な出版社にはぜひぜひがんばってもらいたい。文庫が妙に高くても文句は言わない(笑)。