item 歴史を意識するということ

textes ... 思考

written 2012/5/8

 いわゆる「未開社会」の成員たちも、部族の共通のものとして「歴史」を認識している。彼らの歴史は一般的に、「○年○月、誰それが首長になった」などといった記述ではなく、世界の始原や文明の始まりを喩的に語りとおす神話の形をとるようだ。
 どうやら彼らは「個人の生涯の歴史」に関してはあまり興味がなく、個人史なるものがあったとしても、それは共同体の歴史のなかに組み込まれた付属的なものとして、在る。
「個人史」が重視されてくるのはやはり、西洋型の個人主義思想が覇権を得る近代から現代にかけての文化現象であろう。
「国家」は共同体としては大きすぎて、国家の歴史を語ろうとすれば、ディテールをごっそり切り落としたおおざっぱなゲシュタルトを形成するほかない。当然それはうさんくさく、一面的すぎるように見えてくる。18-19世紀西ヨーロッパは、もっと大きく「世界史的な」視点での歴史を語っていた。たとえばヘーゲルのような、西欧的「理性」を至上のものとした壮大な文明史。しかしそれは、西洋型理念の権力を絶対のものとして、他者の文化を無理矢理自己の「秩序」に組み込んだ支配の形態にほかならなかった。
 とりわけ世界大戦の経験がヨーロッパ人のこのような夢想を破壊し、自己中心的で大がかりな歴史観は無効となったと思われる。国際社会は20世紀において極度に複雑なものとして理解されるようになり、真摯で緻密であろうとすればするほど、誰も統一的な世界観を提示できなくなってしまった。小さな島国の一国の歴史でさえ、もはや安易に語ることはできない。
 われわれの時代は「共同体」を失ってしまった時代であり、そのため、「個人の歴史」に閉じこもらざるを得なかった。けれども、「個人の歴史」に価値があるという幻想でさえ、保ち続けることはできない。消費社会・情報化社会の巨大さのなかで、「個人」は絶望的に死の淵に立たされる。そこでやむなく、人びとはまた「国家の歴史」を語り始める。これが現在の日本の状況だろう。右翼的(復古的)に国家を語りたがる傾向や、やれ震災だ反原発だといって「社会」について騒ぎたがる傾向は、かくして「歴史への意志」を表明する運動であるように見える。
 心理学ふうに言うと、「歴史への意志」とはおそらく、「自己」を拡張し、ひとつの強大な権力として国家や世界を一個のパースペクティヴのもとに統一し、同調する身近な隣人たちと声を合わせて、コロス的共同自我の内に融合しようという欲動をものがたっている。これは「自己の身体」ゲシュタルトを、より強い輪郭でえがきなおすための、戦闘的な衝動であろう。
(乳児の世界観が、自己と周辺世界とが未分化である状態から出発し、その後自己と他者(親)、主体と客体といった分裂を学習することで「社会化」がスタートする。と考えるなら、成人後これに逆行し、自己と世界とをふたたび未分化な状態にまで戻そうという深層の欲望は、いかにも根源的なものかもしれない。)

 
 さて自分のことを言うと、私は自分の「個人史」にはまったく価値がないと思っているけれども、孤独に作曲活動しているといつのまにか、その活動の「歴史」なるものが何か意味を持っているかのように信じたがっている自分を、ときに発見する。才能のある芸術家ならともかく、自分の音楽など社会的に価値を持っているはずもないのに、私にとってはこの「作る者としての自己」しか有意味なものはないので、磁力に吸い寄せられるように、そんな独断論に近づいてしまう。
 ふだんは孤独に本を読んでいる日々だが、たまにSNSで政治的なつぶやきを書き付けることもあり、たとえば目下嫌いな橋下徹氏に対する批判をつぶやく。これくらいが、私にとっては「歴史を持つ社会」に参加する一瞬である。そのとき、私は同調しうる「みんな」と融合し、自己拡張の欲動に身を焦がす。けれども私の生活パターンにとっては、それはまれなハプニングのようなもので、すぐさまもとの「小さな自分のいる場所」に戻る。
 自分のつまらない音楽や言葉をもてあそびながら、コーエン兄弟の映画の人物たちのように、無意味にあっけなく野垂れ死んでいくのが私の生の輪郭であるのは確かだ。
 しかし生命というものは、ずいぶんみんな「個体」にこだわっているようだけれども、根本的に観察するとそれは流動する物質の流れにおける「一個の場所」にすぎない。その流動する無数のものたちは、人間の言葉による「歴史」ごときには捉えきれないはずだ。そういう洞察にたてば、もともと「個人の生の歴史」に「意味」があろうがなかろうがどうでもいいし、流動する無数の物質や「意味」や「こころ」「力」に影響され、影響しながら、つかのまの生を過ごし、終えてゆくのだと考えたら、いくぶん気が楽になるだろうか。
「歴史」ではない何か。たとえば「死」の静寂のなかに還っていくことができたらいいのだが。

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