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written 2010/4/4

 ごくふつうにPOPを目指した前作「Synapse」から一転、今度はダンス/エレクトロニカ路線の曲を作ってみた。
断絶詩集」第5曲となった今作「反復 Wiederholung」は、それでも、今風のエレクトロニカと呼ぶにはファンキーで構成的(物語的)すぎるし、ひそかに途中で3拍子になったりするし、ピアノがいきなり現代音楽+対位法で乱入するし、最後の方で突然歌ものっぽくなる(トランスっぽい?)あたり、やはり私の天の邪鬼気質が露呈している。

 楽曲MP3:http://www.signes.jp/musique/SeverancePoems/Wiederholung.mp3
 歌詞ファイル:http://www.signes.jp/musique/SeverancePoems/Wiederholung.txt

 もうちょっとわかりやすく、タイトルを「LOOP」あたりにしようかと迷ったが、一応精神/脳関係の現象を主題とした「断絶詩集」にふさわしく、フロイト=ラカン由来のこのドイツ語を採用した。
 最初私がイメージしていた「反復」とは、フロイトの言う強迫観念/衝動のような、生の意志に反するような奇怪さを持つ、病的な深層心理のメカニズムであったが、ちょうど木村敏氏の最近の著書『関係としての自己』を読んでいたら、また別の「反復」概念に出会い、惹かれた。
 以下は木村敏氏が引用したポール・リクール『他者としての自己自身』の孫引きである。

 われわれが何かの、あるいは誰かの記憶を持ちうるとすれば、その何かあるいは誰かは死ななければならないのではないか。過去の他性 the otherness of the past は基本的に死の中に見られるのではないか。そして反復はそれ自身、ある意味で死者の復活ではないのか。

  木村敏『関係としての自己 』(みすず書房)より ポール・リクール『他者としての自己自身』の文章を孫引き:訳は木村敏氏

 自分なりに解釈すると、私たちは生身の他者を受け入れると、その後ただちにその「他者」は死んでしまう。死んだものだけが、記憶となり、概念となり、言葉となる。絶え間なく死と接していくことで、ようやく人間は世界を自己の思考のなかに組み込むことができるのだ。
 このあたらしい自作曲の後半の歌詞には、とりあえず、このリクールの言葉が強く影響している。

 それはともかくとして、音楽の限りない反復=(現在のポピュラーミュージックにおける)ループは、音楽(メロディ、リズム、和声)が既に死んでいるという常識のうえになりたっているに違いない。それらは、すでに死んだものだからこそ、無限に反復が可能なのだ。
 死者と戯れるこの手の(ループを用いた)楽曲づくりは、クラシック音楽の創作で私が体験してきた「書くこと」とはまるで違っていた。それは切り貼りし、既製のパーツを組み合わせ、目新しい音色をさぐりながらのカラーリング、そう、それはどちらかというと工作に似ている。
 私もちょっとサウンドづくりを探究したが、経験不足で根気も足らず、必ずしも満足できる出来とはならなかったかもしれない。MIDIでピアノ曲を中心につくってきたこともあり、「サウンドづくり」はどうしても苦手だ。
 ちなみに、Logic Studioにパッケージ同梱されていた音源にVoiceがあったので使ってみたが、これらののうち、「Go」「Dance! Dance! Dance!」くらいしか私には聞き取れない(笑)。

 さて、「断絶詩集」はそろそろ大詰めだが、実は次の曲のイメージはまだ全然生まれていない。

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