動画の問題
written 2010/4/9
なぜか、インターネットは動画の時代だ。
自分はテレビ見ないし、CDアルバムにDVDついていても、そんなに何度も見ないし、ふだんからYouTubeやニコニコ動画をあちこち見て楽しんでいるとはいえない。
おおむね「動画」に興味がない。前にもどこかに書いたが、「動画」の中で流れている「時間」と、私の意識の「時間」との速度が違うので、いつも取り残されるか・置き去りにしてしまうか・どちらかなのだ。
けれども、最近はDTMなどで曲作りをしていても、なかなかそれだけでは(MP3の公表だけでは)多くの人に聴いてもらえない。そこで、動画に対して好きか嫌いかに関わらず、世のアマチュアコンポーザー(ミュージシャン)たちはYouTube等で楽曲を「動画として」配信せざるを得ない状況だ。
多くの「大衆」が、もはや音楽「だけ」では楽しめず、映像も含めたイメージの複合体 complex としてのパッケージを要求している、というのは、やはり想像力の衰退というべきだろうか。それとも、社会が複合的なパッケージを大量消費する文化へと変容したことによって、単純な「音楽だけ」とか「イラストだけ」のような純粋な個別の「作品」が、もはや成り立たなくなってきたのだろうか。
一般に動画をつくるのは面倒だし、絵を使うことでイメージが固定されてしまうので、純粋な音楽を創造したいという向きからすれば、これはあるいは苦痛や疑問を伴う作業になる。誰か適当に動画化してくれる友人があればいいのだが、なかなかそんな奇特な人はいない。
そんなわけで、私もまた、最近はやむをえず、ムリに動画を作っている。
先日作った「反復 Wiederholung」にも、しぶしぶ動画をつけた。
イラストをHaqさんという方にお借りして、これをShadeという3DCGソフトで動かしてみたが、CGづくりも動画作成も、作曲以上に時間がかかる作業なので、結局手抜きをしてでっちあげた。何しろ、動画なんてどうでもいいと心の中で思っているのだから、しかたがない。
YouTubeは基本的に、海外のものだから、ほんとは英語で勝負に行かないと、話にならないような気がしている。一方、ニコニコ動画は日本独自のものだが、こちらにはいろんな意味で問題がある・・・。
動画にコメントつけられるのはいいが、デフォルトではそれらのコメントが動画上にスクロールされる。これがいかにも、作品が汚されていくような感覚がしていやだ。まっとうなコメントならいいのだけれど・・・。
ニコニコ動画は2ちゃんねる系というか、あの手の人々がウヨウヨしている。あの人たちは完全匿名に隠れると、例によって「○○だろ」とか「じゃね?」みたいな、共有されたラングと一体化することで、変に「集団心理」の波に飲み込まれる。同じようなしゃべり方を模倣しあうことで、「私」が「私たち」になったような錯覚を抱き、力みなぎって、やけに断定的になったり、遠慮や気遣いを失ったりするらしい。そこで、いろんな問題が生まれてくる。
ニコニコ動画はたしか、ログインしないと動画閲覧ができない「会員制」のはずなのに、いったんログインしてしまえば完全に匿名になるから、あちこちに罵詈雑言吐いても足がつかない。
こういう「匿名性」は悪を引き起こすだけなのだが、こんなもの(クソのまき散らし)を「表現の自由」などと言ってる馬鹿者をカリスマとして信奉している馬鹿者がたくさんいるから、日本人って馬鹿ばっかりなのかな、と思ってしまう。おまけにこういう方々の多くはそんなに若い世代ではなく、どうも30−40代のような気がする。こんな国の景気がよくなるわけがない。問題は決して政治じゃない、国民の馬鹿さ加減だ。
私の動画はあくまで音楽主体なのでまだいいのだが、並々ならぬ努力を傾注してつくられた力作映像も、ニコニコ動画では馬鹿げたコメントに覆われてしまう。汚すためだけに汚しているような奴もいる。美術館の作品に大量に落書きされているようなものだ。
こんなサイトの何が楽しいんだろう?
理解不能なことに、ニコニコ動画は日本では人気サイトなのだ。
みんな、「作品」にテキトーな落書き書くことが、なぜ好きなの? そしてその落書き見てて、何か楽しいわけ?
要するにニコニコ動画は作品を「殺す場」であって、殺した作品そのものではなく、作品をめぐるパロールの嵐に身を任せ、集団心理に酔いしれるための場なのかもしれない。
やはりこんな場所は、私には合わない。見ていると、「日本人」が悲しくなっていく一方だ・・・。