悪という主題
written 2006/8/18
というわけで、私は「悪」という主題にたどりついたわけだ。
この悪は必ずしも犯罪ではなく、法への反抗であるわけもない。
それは単に、身体に巣くい、救いを拒否しながら、「死」と向き合う心的段階である。この心性が他者との関係性へと拡大していくときに、それは「悪」と呼ばれるようになるだろう。
「悪の発見」これは一連のできごとから生じてきた必然でもあって、それは私の沈潜をすくってくれるかもしれない。
もちろん、私はそれにすがるわけでもないが。
「悪」は倫理と対立するのだろうか。しかし本来「悪」が対立するべき「正義」は私には重要な要素として認識されていない。
「悪」は「倫理」の一形態なのだ。これはレヴィナスも語り得なかった倫理である。
「悪」は他者の内にではなく、「死」のイメージとともに「私」のうちに芽生えてくる。それは浸食し、滅びへと突き進む。それは「他者」と向かっていくとき、リビドーの変種となり、いまや優しさとも、愛情とも矛盾しない。
それは「死」に付き添っている以上、建設的なものではなく、負の要素ではある。
だが現在の私は、それを「言表」し、すなわち言語の体系へと組み込むことによって、構造体(たとえば、作品)のなかへと導くことができるのではないか。
少しの間、私は鬱状態にあって、閉ざされた空間=極小SNS(ここ)の中で一連の「日記の記述実験」を行ってきたのだが、その中で醸成され、やっとあらわれてきたのがこの「悪という主題」なのだ。
とりあえず、自己が悪であるということの発見、このことが私を救い出すのかもしれない。今はこれが重要だ。