2017.6東京旅行(2)TOKYO PARADOX
written 2017/6/11
去年のにくらべ、今回の旅行ではずいぶんと道に迷った。思えば昨年は羽田空港から山手線を回るコースがほとんどで、山手線というのは私のような方向音痴にもわかりやすくてありがたく、とにかくこれに乗れば東京の「主要な」箇所に行けるし、間違えて逆方向に乗ってもいつかは着くという安心感がある。今年の旅行では成田発着から京成線、その後も山手線を一切使わなかったので、地理感覚ゼロの私の面目が遺憾なく発揮されたわけだ。
特に日暮里駅、東京駅で迷った。東京ならずとも、駅構内や道路上の方向標識というものは不親切だ。○○方面と言われても、土地勘の無い者にとってはその「方面」がわかりにくい。方面とやらをいちいち地図で示してくれれば理解しやすいのだが、○○方面には目的地の△△があって・・・とか、○○方面は△△とは逆の方向で・・・とか、その土地の者でないとよく把握できないのである。脳内の地図が形成されていないから。
とはいえ、今回は時間的に余裕があって、特に2日目の6月5日(月)は誰かと約束があるわけでもなく、一人旅の気楽さ、東京の町並みを見物して散歩するようなところがあったので、これはこれで良かった。
ところで昨年10月に作曲した作品「TOKYO PARADOX - for Rap and 2 Pianos」は、私が2台ピアノのパートを作成し、それに「ラッパーは自由に、『東京パラドックス』というお題とバックトラックのピアノに沿って歌詞をつくり、好きなようにラップしてもらう」という主旨の作品で、複数のラッパーさんにお願いして複数のバージョンを作る予定だったが、結局、最初に作ってくれたToupe Mapetoさんのバージョンだけで終わってしまった。作った直後、2台ピアノパートの、冒頭から出てくるリフレイン・フレーズが、どうにも改めて聴くとダサく思え、それが(ヒップホップ流儀にならったとはいえ)あまりにしこく繰り返される作風、ラッパーに遠慮して変拍子や変則的分節構造を自ら禁じた不自由さなどが、作者ながら、あまり良くない失敗作と思えて、放置してしまったのである。
だが、旅行に出る直前、1年近く経てこの曲(Toupe Mapetoさんのラップ入りバージョン)に捨てがたい魅力があるように感じられた。
Toupe Mapetoさん(本当はラップ専門ではなく、サウンドクリエイターである)は思うにアントナン・アルトーのような、捨て身の凶暴なパロールを繰り出す「裂け目」のようなアーティストで、強烈なバイタリティで社会の皮膜を突き破ってしまうようなところがある。「TOKYO PARAX (Toupe Mapeto Version)」には、そのような、日常生活の裂け目から吹き出す血のような強烈さがあって、私は今ごろになって、YouTube向け動画を作っておこうと決めたのである。今回の東京旅行では、そのための、東京の風景を撮影した動画素材を撮り溜めるというサブの目的があった。
旅行2日目はまず東京ステーションギャラリーで「ヴェルフリ展」を見学しようと思っていたが、これが休館日だった。田舎でも確かに月曜日は美術館やら図書館やらは休みのことが多いが、東京でもそうだったのか。
東京駅周辺というと私たち田舎者には「首都のど真ん中」という印象があるが、東京駅そのものはあまり大きな店の看板が無く、庶民の中心地は新宿辺りであって、このへんは霞ヶ関などのお偉い方々の街なのかもしれないと思った。東京駅の風景にはへんにとりすましたような所を感じた。
そのまま銀座に歩いて行き、目的の「藍画廊」へ。しかし時間が早くてまだ開いていなかった。画廊というものは、昼頃にオープンするものであるらしい。銀座にはやたらと画廊があると事前調査で知っていたので、その辺の画廊巡りもしてみたが、11時過ぎに既にオープンしているのはわずかだった。
やっと開いた藍画廊で李染はむさんの個展を見学。よい絵画、面白かった!
美術界も音楽界も、やはり日本では東京なのである。ジャック・アタリが芸術家などの「ノマド」は、そのときどきの文化的中心となる「世界都市」に自然とまっさきに集まってくる、と書いている。私も、昨年からほんの2回、東京でのコンサートの打ち上げにお邪魔しただけなのに、もう人脈がかなり広がったという気がする。もし東京に住んでいたなら、際限もなく芸術家たちとの出会いが連鎖していたことだろう。北海道に住む私などはまったくもって辺縁なのである。
にも関わらず、東京の音楽家たちが「エレキギター奏者を見つけられない」というような事態が起こるのは何故だろう。よほど自分の専門分野や親しい仲間うちだけに引きこもってしまい、都市に集約された文化の多様さを楽しもうというスタンスに欠けているのかもしれない。同種の仲間だけに閉じこもってしまうのは、悪意に満ちた大都市での必要な防御策なのか。しかしそれは「ノマド」的ではない。
防御、確かにこれほど人間がうじゃうじゃしている場所では、防御しなければたちどころに破滅してしまう可能性もあるのかもしれない。
通りをたくさんの人々が、かなりのスピードで歩いて行き交っているが、決して通りすがりの他者に目をやることは無い。それが「東京式」なのだ。ひとりひとりが実は狂気じみた欲望や症例の深淵を抱えながらも、他者のそれに触れてしまっては厄介なことになるから、互いに無視し、無関心を徹底しなければならないのだ。
こうした都市の「マナー」は、たとえばニューヨークなどとも共通するのだろうか。米国製映画やドラマで見る限り、なんとなく「東京の絶対的無関心」のシステムと、ニューヨーカーたちの身の振り方とは、ちょっと違うような気がしている(ニューヨークに実際言ったことがないのではっきりしないが)。
モーリス・パンゲ『自死の日本史』を昨年読んで日本人、というか日本文化の顕著な特性として、昔から人々はそれぞれの頭上に「死/虚無」を抱えていて、自らが滅びることにとても親近感を持っているということがある。この「死/虚無」のシーニュは人々をひそかに根強く支配しており、それが明らかになるのは、東京のような都市での、すぐそこにいるはずの「存在者」への無関心の徹底であり、また、日本特有の文化「パチンコ」で見られるような、慢性的な自死の状態の習慣化である。
「TOKYO PARADOX」を書いた後、私自身、「東京パラドックス」というのは具体的に何だろう、とずっと考えていた。今回の旅行でもこの問いが頭にあった。
この便利きわまりないテーマパークのような大都会で生きるということは、一見綺麗に整序されほとんど隅々まで完璧にデザインされた人工空間にあって、そこにはめこまれて生きるためみずからの血と欲望を捨て、ミラーニューロンや「共感」を停止させ、しずまりかえった無関心=死=虚無を生きると言うことなのだろうか。そのパラドキシカルな「死としての生」が、逆に激情や血なまぐささ、噴出する発作的欲望、狂気などをしばしば「事件」としてしか露出できず、それとともに、それらを「事件」とすることで都市の情報の一部として回収し、無-意味化するというシステムの内部で、人は果てしなく死を生きていかなければならないのか。
これが、東京パラドックスなのか。
今回の旅行でも私は得るものがたくさんあって、特に音楽関係者の方々とのリアルなコミュニケーションは、私を1週間夢見心地にさせ、仕事に手が着かないような状態にした。ネット/創作における生と、生業を中心とする日常的な生とを壁で仕切って生きてきた私の、その「壁」が、音楽家たちとのリアルな交わりによって溶解してしまうようなのだ。そこで活発化したプレートの運動は、やがて意識下から突き出てきて、今後の作品を生むことになるのだろう。
とりあえず、頼まれもしないのに、私はピアニスト屋敷華さんのために、何か作曲してみたいなと思っている。