item 2016、人々とのあいだで

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written 2016/12/18

 今年は自分の作曲と、演奏家さんたちとのコミュニケーションに興奮する年だった。
 新年早々に書いた作品「Wind Passage for Flute and Mandolin」が3月、ナタリア・マラショワさんとニコライ・ポポフさんによってモスクワで初演されたし、いつかわからないけどコロンビアでSantyck Skさんが私の「Pisces for Flute Solo」を演奏してくださっていた。
 9月にはミュージカリスランドP&Dの委嘱作品「アルマジロ・テクスチャー Armadillo Textures for 2 Pianos and Electronics」が加藤麗子さん・金平夏花さん(p)によって、東京で初演されたところに立ち会った。
 今年最後、間もなく、今年書いたピアノ前奏曲の一つ「Curved Line」がピアニスト河合丈則さんにより、東京で初演されることになっている。
 2016年12月23日、場所は東京都新宿区のルーテル市ヶ谷センター。もっともコンサートではなくピアノ学生さんたちの学習会?らしいが、実質的な中身はミニコンサートのようなものだとか。


 あの曲は、私はいつも演奏の難しい作品ばかり書いているが今回は比較的弾きやすい感じの曲を、ということと、ロマン派のピースみたいなスタイルでルバート狙って、という意図を持って書いたものだ。「非線形科学」についてちょっとだけ調べてみたら「なんだただの2次関数の放物線でも、直線以外は非線形っていうんだ」と知り、曲線のイメージを頭に浮かべていたところ、結局ロマン派的な、なだらかな感情曲線に落ち着いてしまったのである。
 なにはともあれ、演奏していただけるのはありがたい。


 今年はそういうありがたい演奏家との「おつきあい」に恵まれた年だった。
 特に、9月に「アルマジロ・テクスチャー」の初演を聴きに東京ツアーに出かけたのは、私にとって画期的であり、これまで外部的にはネット上の所作だけで成立していた私の音楽活動が、いきなり血を持ち肉を持った生身の人間たちとの関わりのただ中でのそれへと、急激に変容を遂げたといった趣の出来事であった。
 これまでネットでのみ接していた演奏家さんは、カタコトの英語でなんとかコンタクトできる外国の方々がほとんどであったが、今度は日本人の、生身の演奏家たちとコミュニケーションできるような「世界」を私が持ったということで、これは私にとって人生の一大事なのである。
 以来、ミュージカリスランドP&D関係の方々と急接近し、彼らの宣伝となるようなウェブサイト作り、ネットショップ作り、動画作りにも進んで協力してきたが、少々おせっかいすぎる面もあったかもしれない。へんに首をつっこみすぎると、やはりコミュニケーション(社会的関係性)はいいことばかりではない。
 勝手にいろんなことを抱え込んだ末にどうもまたもや鬱屈しつつあり(そもそも冬の初めには気分障害になりやすい)、せっかくやりかけたプロジェクトが、もしかしたら全部座礁して流れてしまうんじゃないかという不安を覚えている。

 作曲の方は、いまのところ来年夏に向けてミュージカリスランドから4曲の委嘱があり、少しずつ手を付けている。「アルマジロ・テクスチャー」がそうだったように、エンタメ寄りで、演奏上の制約から「あまり複雑ではないビートのある音楽」であり、こうした音楽上の機縁は自分の音楽世界の方向性にも、着実に影響を及ぼしている。
 もっとも、「単純なビートの反復は是か非か? それをうまく”現代音楽”的観点からの批評性を失わずに活用できるか?」という、以前からいだいていた悩みに、今回もまた悶々としている。

 そういえば、今年は他にも海外の演奏家の方のために書いた作品があるが、そのうちの数曲は結局、演奏してもらえずに終わりそうな気がする。まあ、それはそれで仕方がない。私の書く楽譜は、とにかく演奏が難しいし、そうでもなかったとしても、音楽的な魅力をあまり感じていただけなかったのだろう。私自身も、音色の多様性など、生楽器ならではの深み、生身の人間による技術のぬくもりさえ諦めることが出来たなら、コンピュータの方がよっぽど思い通りに、正確無比に演奏してくれていいんじゃないの? と思ってしまう傾向が強まってきた。もともと、格子状の「グリッド」に、16ビートを基本にして音を嵌め込んでいくように作曲する感覚は、私の中で根深いようだし、私の音楽はやはり演奏にあっても「コンピュータ向き」なのかもしれない。
 自分は確かに、「コンピュータでの作曲/DeskTop Music」の時代の申し子であり、そもそもが一人でやってきた音楽だから、ここに来て、対-演奏家、対-聴衆とのコミュケーションとしての音楽を選ぶのか? それとも、あくまでも一人で構想し、コンピュータに演奏させて喜ぶだけの「ひきこもり音楽」でいいのか? という重大な分岐点に立っているような気がしている。後者はコミュニケーションが時にはらむ「面倒くささ」の危険性はないが、そもそもが社会内現象としてコミュニケーションの一形態であるような「音楽」が、独りよがりのなかでどこへも飛び立てず終わってしまう危険を伴う。
 できることなら両方をうまく共存させつつ、とりあえず来年も音楽をやりたいと思っている。

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