狂気という美しさ:ポランスキー「反撥」
written 2009/6/6
かねてからコーエン兄弟の映画「バートン・フィンク」(1991)が好きで、あのじめじめねっとりとした狂おしい空間を愛好していたのだが、もっと凄い映画に出会った。
ロマン・ポランスキー監督の初期の映画、「反撥」(1964)。
これは凄い。引きずり込まれるように観させられ、狂気に落ちていく精神の軌跡をモノクロの美しい映像で強烈に叩きつけられた。
全体に静かな映画で、今日のホラー映画のようなグロさはないが、非常に怖い映画である。怖い映画がいやでない方は、是非レンタルででも観てください。これは凄い。リンチもクローネンバーグもヒッチコックも目じゃない。
ストーリーを要約してしまうと、主人公(カトリーヌ・ドヌーヴ)は姉とアパートに暮らしている。彼女はおとなしい性格だが、姉は不倫中で、夜ごとに男を連れ込み、やがて彼と旅行に行ってしまう。
その直前頃から主人公は何やら精神疾患気味のよう。姉の部屋から聞こえてくる情事の声や、ボーイフレンドにキスされたあたりから、どうやら男性嫌悪(恐怖?)の傾向にある。
姉のいなくなったアパートに彼女は閉じこもりがちになり、壁に割れる幻視や男に襲われる妄想にとりつかれる。
心配して訪れたボーイフレンドを何と殺害してしまい、浴槽に片付ける。さらに家賃を督促しに来て、ついでに欲情を催した大家さんをも殺害。最後には完全な狂気のためか、動くこともできないシカバネのような姿に・・・。
いかにも抑圧された性衝動が異常な形で凝縮されてしまったと解釈できそうだが、少女時代のできごとなど、背景の説明は一切ないので、狂気の原因を確かに見定めることは、これだけでは不可能だ。いや、おそらくそんなことは説明したくなかったのだろう。
この映画の緊張感は全体的な静かさと、密室状況的な設定、美しい画面構成、進行の無駄のなさに原因がありそうだ。
腐っていく肉やら道路・壁のヒビやら、芽の出まくったジャガイモやら、次第に病にやつれてゆくドリーヴの表情やら、カミソリやら、単刀直入なシーニュがひたすら連発されている。この映画が意味していることも非常にシンプルなものである。
・・・それはつまり、「狂気とはこんなに美しいものなのだ」ということである。
美ではなくグロテスクとして表象されていたらこんなに怖くはならなかっただろう。
狂気は、こんなにも美しいのだ。