item モンスーン・ウェディング

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written 2008/9/7

スカパーから録画した、インドのミラ・ナイール監督の映画「モンスーン・ウェディング」(2001年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞)を観た。
このところインド古典音楽やヒンドゥー教、ウパニシャッド哲学といったインド古来の文化に興味を持っており、ついでに現代インドの様子を手っ取り早く知ろうと思ってこの映画を録画したのだが、意外にもこれが、非常に感動的な、いい映画だったのである。傑作の名にふさわしい作品かもしれない。ハリウッド映画なんてさすがにあほらしく、もう観る気も起きないが、アジアや中東、ヨーロッパにはまだまだおもしろい映画が眠っていそうだ。

さて、この映画、インドのニューデリーに住む家族や親族を描いている。色白のやたら眼の大きな娘が、アメリカで仕事をしているらしい男性を結婚する。その結婚式に至るまでの、人間たちのさまざまなドラマが描き出されているが、なかなかリアリスティックで興味深い。
ビルが並び自動車が交錯する現代インドには、まだ古い時代の文化の名残りも色濃く残っているようだが、「アメリカ」という語に代表されるモダニティと葛藤する部分も、当然あるようだ。

さて私が一番興味を持っていたのはやはり、映画中の音楽である。
「インド音楽」のなかで私をいたくひきつけるのは、南インドの古典音楽=カルナータカ音楽なのだが、この映画には登場しない。
カルナータカ音楽は、ラーガ(旋法)とターラ(リズム書法)をもとに厳格に、非常な複雑さで構築される。その構築性は、もはや西欧の調性システムもセリエリズムもよせつけないほどの完成度なのだ。最近買った「瞑想~南インドの古歌」という廉価シリーズ版のCDを、私はいまかなり愛聴している。現代の南インドで、このような複雑な音楽性はどのように変化しているのだろう。ふつうにポップ化してしまっただろうか。
一方、北インドの古典音楽=ヒンドゥスターニーはもっと歌謡的でホモフォニックな感じである。中東あたりの古楽に近いかもしれない。ノーベル賞文学者ラビーンドラナート・タゴール(1861-1941)は歌曲作者としても尊敬を集める近代インドの巨人なのだが、シャルミラ・ロイ歌唱による「タゴール・ソング」を聴いてみると、北インドの音楽をもう少し近代的にソフィスティケートさせたような印象だ。(この音楽は実に親しみやすい。一般的なリスナーにお勧めしたい。)
さて映画「モンスーン・ウェディング」で登場してくるのは、北インド的な民衆音楽ふうのものと、インド風旋律をロック/ポップ/あるいはダンス・ミュージックのビートに乗せ、ポップ化したものだった。
しかし、古い伝統音楽がすっかり様変わりし、アメリカン・ポップな単調なリズムに支配されてしまったとしても、それを嘆きたくはならない。むしろこの映画を観ていておもったのは、地に足のついた民衆たちの「歌」は、様式上のコロモがいくら着せ替えられたとしても、その核心は滅びない。時代の変化を超えて炸裂する「民衆」のパワーは、たしかに現在においてもその生命を失っていないということだった。
このよくできた映画では、様々な人物たちの思いやドラマをはらみながらも、結婚式という祝祭に向けて盛り上がり、はなやかな民衆の歌/踊りへと流れ込む。まさにカーニヴァル的な、すばらしいクライマックスだ。人々は最後に笑いながら踊り狂う。その音楽は西洋化/ポップ化したものなのだが、「民衆的な祝祭」はそんなビートの上にも、自然にのっかっている。なんという幸福なクライマックスであろう。時代を超えて生き残ってゆく「民衆」というものの生命力が圧倒的である。

それにひきかえ、もはや宗教も、民衆の祝祭としての生命力に満ちたマツリも、自然な形で生き延びた自国の音楽も持たない日本とは、ほんとうにつまらない国なのだと思う。

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