[解説] インヴェンション第1集
... 自作解析
written 2007/3/6
2005年の夏から秋にかけ、立て続けに書いた11曲および、1年半後にやっと書いた終曲から成るピアノ小品集。「インヴェンション第1集」と名付けたが、2000年にも6曲からなる「インヴェンション(2000)」を書いている。そちらは「習作」という扱い。
インヴェンションといえばバッハの作品だが、一応対位法を使用しながらも、必ずしも厳格に対位法的な様式にとらわれることなく、「思いつき」で軽く気ままに、短い曲を並べた。第1集はすべて三声で書かれているが、各声部はたまに和音を発することもあり、柔軟である。
2005年の夏、私はメロディーというものを見直しており、ポピュラーミュージックへの接近も図った(その収穫はつい先日(2007年2月)のPulseまで続いている)。この作品集はジャズ風の曲の後にいきなりバロックなフーガが配置されるなど、ことに多様だが、書いているときの気分は「絶望的」だった。
生活の中で苦しみ、疲弊し、絶望を味わっており、そんな気分の表出もひそかに狙っていた。第1番の雰囲気はその導入口だし、最終的には第11番で、「絶望の表出」は完遂される。11番を書いたあと、私は12番(最初から全12曲の構想だった)の着想を既に抱いていたが、なぜか書くことができず、生活上のもやもやの中に混迷し、創作活動を中断せざるを得なかった。そしてさらに私は翌年、「鬱」という停滞に沈み込むことになる。
最後の第12番は2007年、Pulseの作曲を経て書かれたもので、それ以前の11曲とどこか違うとしたら、それは時間が経ち、新しい語法を私がめざしはじめているからかもしれない。
No.1 ハ短調
気分の暗い曲集となることを予想した雰囲気の第1曲だが、これといった特徴もない。ほんのちょっとした前奏といった感じだ。
No.2 へ短調
ポピュラーな歌ものを意識した楽曲。そうした一般的な歌の構成のなかで、いかに対位法的な処理を実践するか、というのが課題だった。なんとなくゲーム音楽のように聴こえなくもない点が、ちょっと気になる。
No.3 変ロ blues
聴いての通り、ジャズ・ロック調の楽曲。作りは完全に即興的で、対位法的な緻密さよりも「勢い」で押している。或る方のアドバイスにより、最後の部分を少し長く修正した。
No.4 変ホ短調 フーガ
前曲のジャズ・ロック調から一転してバロック調。続けて聴くとかなり衝撃的(笑)。この曲は和声的にもおとなしく、伝統的な調性(つまりバッハ時代のフーガ)からあまり逸脱しない(ところどころで遊んではいるが、目立たない)。
No.5 変イ長調
この頃書いていた作品群の雰囲気に最も近い、印象派的な曲。これでも、三声で書かれている。
No.6 嬰ハ短調 フーガ
なんとなく印象派的な和音を使った、モダンな雰囲気の短いフーガ。
No.7 嬰ヘ短調 フーガ
フーガが2曲続くのはどうかと思ったが、ちょうどこのとき、この調でフーガを書きたかったのだ。
バッハのジーグにならった、激しい雰囲気のフーガで、書いたとき、自分ではこれをとても気に入っていた。バッハ風でありながらも変拍子を使い、ちょっと怪しい和声も使用している。
No.8 ロ長調
バッハの平均律になじんできた人間にとって、ロ長調という調性は「お別れ」のイメージがある。
そう思って書いたのだが、「お別れ」っぽくはなくなってしまった。おとなしいようで、実は激しい転調を使っている。
No.9 ホ短調
ちょっとフュージョンっぽい感じの曲だ。対位法もあまり厳しくない。が、リズムが複雑に交錯するので演奏は難しいだろう。
No.10 イ長調
これも演奏の難しい曲。昔からチック・コリアの「What's shall we play today ?」が好きで、そのようなすがすがしさを目指している。
なんとなく「書いてみたかったのを書いてみた」といったものであり、対位法的なテクスチュアはあまり感じられない。ここまでくると、もはやバッハの影がまるでなくなっている。
No.11 二短調
この頃表出し得た「絶望」のかたちがここにある。フォーレを意識しているがもっと激しく、ぎこちない。これを書いたことによって、絶望の予兆である第1番ハ長調からはじまる一連の円環が一応閉じてしまい、しばらく第12番(最終曲)を書くことができなかった。
そして私は沈黙し、前述のように2006年夏の「鬱」発症へと向かっていく。
No.12 ト短調 フーガ
2007年3月、前作から1年半ぶりにやっと書いた最終曲は、かねて予定していた通り、第7曲嬰ヘ短調に似た速めのテンポの、活気あるジーグ風のフーガ。
しかしなんとなく違うのは、Pulse第3楽章で発見した、やや無調・無機質で暴力的な感触の和声感覚。調性的なのになぜか調子はずれで、機械的で空虚な風景を喚起するようなこの感触は、ストラヴィンスキーとヒンデミットを意識したものだ。
かつて三全音の多用により一気に調性が崩壊した(「前奏曲とフーガ(2002-2003)」など)のだが、これはまた違ったアプローチだ。
この曲ではほぼ毎小節拍子が変わるとともに、(いつものことながら)はげしく動揺する、頻繁すぎる転調および、多調的な重ね合わせ、スケールからの野放図な逸脱が、絶えまなく動的に人を不安にさせるだろう。
また新たな絶望への旅が始まる。
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▼お寄せいただいたメッセージから...
- バッハのフーガの技法は個々のフーガの感動だけでなく、一連の作品が物語を紡ぐような、群としても何ともいえない感動を持っていると思っていますが、これらインヴェンション第一集にも同じような有機的な繋がりを感じます。この曲集を聴く時「一曲目から順番に」聴きたくなる事が多いのですが、この繋がりがそうさせているのかも知れません。12番もMP3プレイヤーに入れて、これまでの11曲同様何度も聴こうと思います。
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