三島由紀夫
written 2003/9/6 [ updated 2006/6/2 ]
Mishima Yukio (1925-1970)
非常に才能のある作家だった。
ごく若い頃に書いた小説の完成度を見ると、驚かされる。
その手法は西洋文学の方法をもひととおり摂取したうえで、独自の「美学」に基づいて組み立てられている。
しかし、その美学はすべてが虚構だ。三島は記号の恣意性に気づいていた。それらを支配し、操作しつくそうとした。
だが生み出された作品は結局最後まで虚構でありつづけ、しまいにはじしんの人生の終結まで虚構じみたものにしてしまった。
概観すればこのことの空虚さがはっきりしてくるが、三島個人の真の欲望がどこに向かっていたのか、判然としないのがもどかしい。
私の中では、三島由紀夫の位置はなんとなくオスカー・ワイルドのそれに近いような気がするのだが・・・。また、どうもジャン・コクトーにかなり私淑していたのではないかと思う。
フランス心理小説を模倣したかのような、技巧だけのつまらない戯作も数多く書いているが、日本文学にとっては異端といってもいいような、完成された小説作品も残している。また、批評家として優れた見識を持つことを、エッセイの中で証明している。
金閣寺 (1956)
小説として完成された傑作。
豊饒の海 (1965-1971)
渾身の傑作と言えるだろう。 作家は持っている技のすべてをここに凝らした。