item 9連休という虚空

textes ... 思考

written 2020/8/15

 8月8日(土)から8月16日(日)まで9連休となってしまった。本当は11日(火)から14日(金)は仕事のあるべき平日なのだが、職場を閉めるからと半強制的に休暇を取らされ、自分にとってはメールや郵便物への対応など業務が溜まるから長すぎる長期休暇はイヤなのだけれど、圧力に従わざるを得ない。
 去年のゴールデンウィークの10連休もあまりにも長すぎたが、確か天気は良くて、よく自転車であちこち走り回った記憶がある。今回の期間は天気予報ではほとんど雨で、それでも予報が外れて晴れたりもしたものの、なかなか外に出る気運が高まらなかった。コロナのこともあるからいちいちマスクしないと店にも出かけられないし、友だちも、もはや家族もいないから、遠出する予定もなく、退屈な9連休になることはわかりきっていた。
 離婚後に一人でドライブしたことがあるが、かつて見たことのある近隣の風景は必ず家族との輝くような思い出を呼び起こし、それが失われたという事実をいちいち突きつけられて、あまりにも気の滅入る旅にしかならなかった。
 作曲に熱中しているときは希死念慮は浮上してこないのだが、最近はそこまで没頭するほど作曲しておらず、こんな長い連休どうやって過ごすんだろうと思い、この停滞した時間の中でこそ、自分はいよいよ自死するのではないかとも予感していた。空白そのもののような9日間には、自死こそがふさわしいだろうと夢見た。
 しかし最初エンジンがかからず「まだまだ」と思っていた「滅亡ハレルヤ」の作曲は、8/12になって突如怒濤の制作意欲に見舞われ、丸1日かけて何と、完成してしまった。翌8/13の午前には動画も作ってこれをネットで公開した。

滅亡ハレルヤ with 初音ミク
Extinction-Hallelujah
2020-8-12
Vocal, Choir: Vocaloid 初音ミク
Choir: Vocaloid 氷山キヨテル
Rap: タナカノブヨシ
Composition, Lyrics: Nobuyoshi Tanaka

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 何と言ってもこの2020年新型コロナウィルスCOVID-19によるパンデミックが世界を席巻し、日常をすっかり様変わりさせてしまった年である。
 コロナ・ショック状況については自分でもいろいろ考えて4月にこのサイトに駄文を書こうともしたのだが、結局書きおおせることが出来ずに終わった。
 自分は死ぬのはまったく怖くないし、全然生きたいと思っていないのだから自分一人としてはウィルス歓迎ではあるが、それが知らぬ間に他人に感染させ親しいお年寄り(実母など)を死なせることになってしまったらいたたまれない。それに、コロナ感染症にかかった患者をあたかも悪者であるかのように攻撃するという、実に酷薄な世相が露呈しており、田舎でも感染疑惑のあるものはムラから追放され、感染した一家は転居を余儀なくされ、自殺者まで出た。まるで戦時中の「非国民」攻撃である。だから病気云々と言うよりも自分が患者だと判明すれば世間から社会的に強烈に攻撃されてしまうというのが怖い。何よりも、職場に多大な迷惑をかけてしまうのが申し訳なさ過ぎる。
 新型コロナウィルス感染症そのものは、その身体的な破壊力よりも、それが一個のシンボルとして人びとの心的な世界や倫理感を撹乱・破壊することの方がよほど凄惨な現状であり、これを機に(もともとここ10、20年のあいだで醸成されてきた)社会の様々な暗部が明るみになり、この心的に病んだ社会は、まさに「滅亡」へと向かっているのだ、文明は愚かで不機嫌な大人たちもろとも今まさに滅びるのだ。何故か(統計的には)コロナウィルスで重症化することはほとんどないとされる子どもたちこそが、(心的に)滅びた文明の焼け野原に立ち上がり、あらたな民族となってあらたな歌を歌い始めるのだ・・・といったファンタジーが浮かんで、私はそれを「滅亡ハレルヤ」というこの曲に結実させた。
 滅びましておめでとうございます! なうです!
 
 曲を公開した直後は私はたいてい「鬱落ち」しやすい。作品はいつも期待通りには受け入れられないし、力作でも自信作でも、それは到底世間の多くの方には全く無意味であって、私の創作などという、社会的には全然意味のない営みは、ただの時間の空費なのである。
 今回は特に、現在の世相について直接言及したラップ歌詞を伴っているので、当然それに対しては賛否両論あるだろうし、音楽的にどうこうという以前にメッセージとして批判・否定されるかもしれないという危険性を、重々承知していた。それでも、もう少し共感してくれる方がいたら嬉しかったのだが。
 私の孤独は、止まることがない。

 ついでにいうと、離婚以来毎日あるいは定期的に料理・洗濯・掃除・家周りの草むしり・冬の膨大な雪かき作業など、生活のために生活しているだけのような営為の数々は、結婚前の若い独身の頃なら全く考えもしなかったことだが、23年間という長期の結婚生活が終焉した現在、そのあまりの「目的のない無駄な生活」に目眩がし、本当に、生きることに価値を見いだせないでいる。
 そうした希死念慮まみれの生活におりしもコロナショックによる社会状況の驚くべき変貌、知性を捨て大昔にさんざん否定されたはずの全体主義にまたぞろ狂奔し互いに憎み合う人間どもの織りなす惨状が眼前に繰り広げられて、もはやいま、この世に生きる続けることに苦痛しか感じないのだ。辛すぎです、ハレルヤ。
 神はいつ私を死なせてくれるのか? 9連休の8日目にして、また毎日仕事と生活のための生活という作業ばかりに覆われた退屈な日常生活が戻ってこようとしており、私はさらに沈鬱になってゆく。
 死はいつやって来るのか? 死、無意味、虚空、滅亡、最終的な怒りの日を待ちながら、ハレルヤ。

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