ニコニコ動画―悪の生成装置
written 2010/11/25
以前から気にくわないながらも、自分の音楽作品をともかくより多くの人に聴いてもらうために、やむを得ず使っていた「ニコニコ動画」。
今日とうとう、ここを去ることを決意した。
もともと2ちゃんねる直系の子孫と思われるこのサイト、例の「ひろゆき氏」なる人物も関わっている株式会社ニワンゴ(ドワンゴの子会社)が運営しているとのこと。
ユーザーがすべて完全な匿名でコメントを投稿できるこの世界では、やはり、無礼で・口汚く・軽率で・無責任な言葉が横溢している。
「ひろゆき氏」やその崇拝者はこれを新しい「表現の自由」とか言っているそうだが、こんなのは「公衆トイレの壁に落書きをする自由」を主張するのに等しい。公衆の場所に人が不快と思うような言葉をまき散らす行為をよしとするなら、やがて世界に人間の住む場所はなくなってしまう。
以前、世界の文化遺産とかに落書きが発見されたことがあったが、あの犯人はニコニコ動画ユーザーなのではないだろうか、と今でも思っている。
無名であることによって、人は社会的責任の連鎖から逃れ、無責任な「書き散らし」に走ってしまいがちだ。悪党がたまたまそういう場所に来たのではなく、そこにいることによって、その場所によって、人は悪党に変えられてしまう。だから2ちゃんねるやニコニコのような、匿名投稿を基本にするような場所は、社会的な悪の生成装置に他ならない。
ヤフーニュースも一時期、口さがないユーザーのコメントにあふれていて、目を背けたくなる感じだったが、最近はコメントできるニュースが減ったのではないだろうか? 詳しくは知らないが、さすがにヤフーも、無名の群衆の馬鹿げた暴言に愛想がつきたのではないか?
とにかく「名前」を喪失することは、社会的なくびきから人を解放することで、「たが」のはずれた言動を誘発せざるを得ない。これを装置としてやっている2ちゃんねるや株式会社ニワンゴは、社会的悪以外のなにものでもない。
そこではしばしば集団ヒステリーのようなものも発生するし、匿名をいいことに自殺をあおったり、犯罪的な罵詈雑言を横行させる結果にもなる。
むろん、それは「一部のユーザー」にすぎない。多くの人はごく常識的な範囲でこれらのサイトを利用している、という反論があるだろう。しかしそんなことは百も承知している。
だが結果的にアクセス数を伸ばしてサイトを繁栄させ、そういった悪を生成する装置に荷担することにより、良識ある人々もまた、おなじ共犯関係に巻き込まれている。2ちゃんねるから自殺者が出たとして、それには一般の2ちゃんねらーは荷担していないとしても、「2ちゃんねるの(現状での)存続を支持した」ことにより、結果的には(マクロな視点から見れば)同罪である(法的には無罪でも、倫理的には共犯である)。無責任な悪質ユーザーが輩出することを承知しながら、無言で許可してしまっているからだ。
同様に、ニコニコ動画に投稿した気弱なクリエイターが、無理解な罵りをたくさん浴びせられ、うつ病を悪化させて自殺してしまったとしたら(たとえば明日私が死んでみるか?)、ニコニコ動画を支持していた人間はやはり、間接的に殺人者であると言わざるをえない。
こんにち全般に、法に触れなければ・あるいは法に触れても発覚してお咎めを受けなければそれでいいんだという意識が現代人を甘やかしているようだが、悪が発動し悲劇が起きる可能性が十分あることを予知できる状況にありながら、その状態をなんとかしようとせず、現状維持を支持した段階で、倫理的にはすでに悪の片棒をかついでいるのではないか。
こういう負の連鎖について自分は無罪で一切責任がないと信じている国民が、世論をコロコロ変えて無責任に政治を迷走させているのではないだろうか? なぜ国民は、自分らが選んだ国会議員について、自分には責任がないと思っているのか。
いまや日本人は、実に様々な過ちや悪に荷担しながら、自分だけは永遠に、絶対に無罪だと思い込んでいるだけではないのか。
では、自動車事故の死者があまりにも多いから、自家用車の使用を禁止するのか?
実はこの論理は正しい。が、自動車はどうしても必要だから、事故を起こさないような安全装置やルール作りを整備する、という対応策が可能な場合には、それが現実的な理想となるだろう。
ネットで言えば、法によって「完全な匿名による投稿を可能とするようなサイトを規制する」。今のところ、これが事故を防ぐ最善の策だと思う。
何も実名をさらさなくても、ハンドルネームで構わない。facebook、MySpace、mixiのように「ユーザーID」を表示して人格を同定できるスタイルにし、「やったらやりかえされる」仕組みにすればいい。
それでも、裏アカウントを作り、一時的に新規ユーザーとなって「荒らし」をやり、まずくなったらアカウントを削除する、という手口は存続するだろう。だが、出現頻度から言って明らかに、最初から完全に匿名をゆるすようなサイトよりはずっとマシだと思う。
私たちはこのような、文化上の負の財産を子どもたちに残すべきではなかった。
これは私たちの世代の「罪」であることに間違いはない。悪を生成する装置をはぐくんできた私たちがバカだったのだ。
さてニコニコ動画での音楽事情はどうだったか。
なぜかニコニコ動画では、動画の作成者名はわきの方に、ちらっとしか表示されない。もう初めから、クリエイターは軽視されているのだ。
そして、視聴者は「完全匿名」の状態で、デフォルトでは動画の画面の上部レイヤーに、好きなことを書き込める。
音楽作品に対してコミュティ内で一般につけられるようなコメントとして想定されるような、「いいですね」みたいのもあるが、ニコニコではもっと無礼なコメントが横行している。たとえば
「なんだこれwwww」
「こーゆうの好きじゃないな」
「ぬるいな」
とか。
ふつう、音楽サイトではこんなコメントがつけられることは考えられない。海外の音楽コミュニティサイトなどを見ても、こんなコメントはありえない。滅多にないが、批判するならアドバイス的なコメントになるだろうし、普通は、気に入らなければコメントも何もせずに黙って去るだけだろう。
作品を気に入らないのは構わないが、わざわざ意味不明な捨て台詞を吐いていくのが、ニコニコ動画でのやり口なのである。しかも、しばしば集団心理みたいなものが働いて、いっせいに「○○wwwww」みたいな無意味コメントが大量に流れる場合があり、見ていると不潔なムシがうじゃうじゃ動き回っているような気持ち悪さがある。集団ヒステリーの状態というのは、はたから見ると本当に気持ち悪いのだが、たぶん本人たちはそんなことに気づいてないし、むしろエクスタシーに浸っているのだろう。
つまりここでは、クリエイターはむしろ常に心を傷つけられる可能性がある。無神経だったり、むやみにたくましかったりする創作者であれば気にならないのだろうが、多くのクリエイターは自尊心が高いし(そうでなければ創作なんてしない)、少なくとも私にはこういう無礼なコメントは耐え難い。
しかも匿名であるがゆえに、そのコメント主がどういう人で、ふだんどういうコメントをしていて、どういう価値観をもっているか調べることもできない。批判的なことを言うのはたぶん、自身もクリエイターではないかと思うが、その人自身がどんな作品を作っているのかもわからない。
知られることがないから、好き放題、無責任に書き散らすわけだ。
もちろん、視聴したユーザーの大半はコメントしない。コメントを残すのはごくわずかな、一部の人間に過ぎないし、無礼な書き方をするのはさらにその内の、ごく一握りの人間だろう。
しかし割合がどうあれ、露出しているのはそのごく一部のアホなのだ。アホはアホであるがゆえに露出度が高く、常に悪貨は良貨を駆逐する。
もちろん、これらのアホコメントは、みな知能の低さがうかがえるようなシロモノである。知的な裏付けのない、かなり適当なことを言ってるものが多い。しかも書きっぱなしで、書いたもん勝ちのように通過していくだけだ。
匿名でなければ書けないような言葉を無意味にまき散らすアホを、ニコニコ動画という場所は絶え間なく生産していると言っていい。どこにでもいるアホが、たまたまニコニコ動画に現れるのではない。ニコニコ動画自体が装置として、アホを生産しているだけだ。
(大抵はデリケートな)作者の心を踏みにじるようなこういう場所を、創作の発表の場として活用しなくてはならないような社会とは一体なんだ。
もう少し考えてみると、ニコニコ動画では作者の名前をごく小さく扱うことでまず作者を去勢してしまう。
とりわけ典型的な「ボカロ(ボーカロイド)」界隈は、やはり「二次創作」の場所なのである。「二次創作」の領域では、作者各自の創作世界が重要なのではなく、ボカロという共通テーマに沿って並置された作品を「群」として、ひとつのカタログの状態で眺めるというパースペクティヴが執着されるのである。個々の作者はここでは、カタログの各ページに彩りをそえる諸要素のひとつにすぎない。そして各曲は、つねにボカロというテーマのもとに無償でシェアされなければならない。
「シェアされたもの」として物体的に現前したモノは、「作者による作品」とは微妙にちがう。
ここではすでに生身の人間としての作者は消えている(せいぜい記号としか残っていない。ボカロPという「P名」の記号化技術)。だからこそ、失礼なコメントが可能になるわけだ。彼らはあくまでモノに落書きしているのだ。
一方で作者は、いつまでも作品を自分の分身のように感じているのであり、コメントは人間としての自己に向けられたものとして受け取る。自分の裸身が、作品のなかでさらされている。そこへあの、いきなり馴れ馴れしい口調でのコメント。失礼な奴だなあと感じる作者と、コメントする視聴者とのあいだでは何かがものすごく食い違っている。
要するにニコニコ動画は、作者とリスナー(視聴者)を結ぶコミュニケーションの場では、ぜんぜんないということだ。創作という孤独から、人のぬくもりを求めてさまよい出たクリエイターは、ここでは完全な断絶を味わうことになる。
いずれにしても、ここは私が作品を発表するべき場所ではない。
個人の精神に派生する「悪」に関しては、私は共感的に理解しようと努めるが、社会的な装置としての悪については、話が別だ。
悪を生成する装置としての、それ自体紛れもない悪にほかならない「ニコニコ動画」だの2ちゃんねるだのは、徹底的に糾弾されなければならないし、この陰湿なインターネット社会を子どもたちに残してしまった私たちは永遠の悔いを残すことになるだろう。私たちは、じぶんの子どもらを殺そうとしているのだから。
このような「悪」の本体であるような会社が黒字になっている時点で、終わってる。
ニコニコ動画にアップしていた動画は、近日中にすべて削除します。
私の音楽に興味のある方は、このサイトか、どうしても動画がいいならYouTubeをご覧ください。