解説 [前奏曲とフーガ・2 (2002)]
... 自作解析
written 2002/8/25 [ updated 2006/6/9 ]
これは恐らく、私の書いた曲のなかでもとりわけ過渡的な作品と呼ぶことができるだろう。
急激に取り入れた変拍子の手法は、ここではさほど効果的ではない。フーガ主題にしても、もともと4拍子で書けるものをわざわざ変拍子に崩しているのだが、それが生きていない。
前奏曲は、最近好みの増和音を中心に据えた、印象派ふうの小品で、これといった構造を持たない。
フーガ主題は三全音から始まり、果てしなく上昇しようとする。この主題のおかげで調的な秩序を保つことが難しくなってしまった。油断するとすぐに無調の領域に踏み込んでしまう。・・・しかしフーガというものは、完全な無調の中ではあまり意味がなく、少なくとも明確な中心音をもち、なにがしかの調的な構造がなければならない。
三全音と増和音を組み合わせたことによる調性破壊的な指向は、なるほど私の最近の曲調のなかではなかなか刺激的に響いたが、私はそれをうまく扱いきれなかった。この主題をうまく扱うには、私の技術はあまりにも未熟だったのだ。
すぐに転がり落ちる無調の領域を避けようと(私のフーガの場合、無調は単なる恣意性になってしまいそうだったのだ。無調の音楽自体は、私はけっこう好きな方だ)、私はこの曲をいったん完成してから何度も改訂した。そうして、しまいにこの曲は刺激のうすいぼんやりしたものになってしまった。
このフーガにおける新しい試みは「主題の変容」だった。
フーガ主題は(特にリズム面において)自由自在に伸縮され、まったくの原型ではほとんど回帰しない。これはおもしろい試みだったが、曲調としてのリズムの変容が巧みになされれば、もっと刺激的な音楽になっていたかもしれない(私にはどうもリズム面の創意工夫と鍛錬が足りないように思えてきた)。
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