エマニュエル・レヴィナス
written 2004/12/10 [ updated 2006/6/2 ]
Levinas, Emmanuel (1905-1995)
私にとって、いま最も魅惑的な哲学者の一人だ。
その魅力の大半は、「他者の他者性」の思想もさることながら、あの重厚で複雑怪奇な、難解きわまりない文体にあるかもしれない。
異様な、ほとんど独りよがりでさえある用語の創出や、歪められた言い回し。論説するというよりむしろ唸りつづけているかのような、一種文学的とさえいえるエクリチュール。
そこから閃いてくる独創的で・実は日常性をもつ思想の輝きは、誤解をおそれず、大胆に放言してしまえば「高度に芸術的」なのだ。
たしかに彼の思想の揺籃期には、ドストエフスキーの読書体験があったようだ。だが、もちろん彼は文学者でも、芸術家でもない。無骨で実直な一個の「小」哲学者である。
実に彼の文体は難解であり、その著書を読んでもよくわからない部分が多い。だが、とりあえずは通読してみるといい。彼の本には底知れない感動がある。
この読書体験は、やはり「おもしろい」ものとなるだろう。
この「おもしろさ」と「重々しさ」は、彼の思想があくまでも日常生活から出発しているからだろう。平凡な男性の日常をミニマムに観察することから、その思想は飛翔する。
しかし、もちろん私は、まだレヴィナスの思想を完全には理解していない。
著作家レヴィナスが生まれた背景となった、フッサールやハイデガーについての理解は不可欠だろう。(私もまだまだ理解が足りない。)
そしてまた、「ユダヤ教」についての理解も必要だろうか。我々がそれを
よく理解するのはまだまだ難しいかもしれない。レヴィナスは自己の「純粋に哲学的な著作」と「ユダヤ教に立脚した著作」をはっきり
分けていたようだから、この点は、そう恐れることはないと思っている。
ただ、レヴィナスの思想がただちに「倫理の希求」へと向かうのは、やはりユダヤ教から来るものではないかという気がしている。
もうひとつ、彼の「戦争体験」についての知識も欠かせないが・・・。
ユダヤ人レヴィナスは大戦中、ナチス・ドイツの捕虜となり、収容所に入れられたが、これは強制収容所ではない。だが、その間に彼の親族たちは強制収容所で死んでいった。
もうひとつだけ付記しておこう。
レヴィナスは構造主義が嫌いだったようだし、フーコーの思想もあまり好きではなかったようだ。
だがおおざっぱに言って、私はフーコーに欠けるものはレヴィナスにあり、レヴィナスに欠けるものはフーコーにあるような気がしている。これ以上言うのは無理難題の洒落にしかなるまいが。
全体性と無限 - 外部性についての試論 (1961)
分厚い本だが、なんと言っても「第一の主著」であり、やはり読むならこの本をまず読むべきかもしれない。
序文はいきなり戦争と、戦争中にある生についての考察で始まる。この鋭く痛々しい思考はただちに、全体性、同、他者、無・・・とめまぐるしく展開される。
この思想は、やはり戦争から生まれてきたのだ。
書物としては比較的、体系的であり、文体は難解でしばしば飛躍するのだが、意外にも緻密な論理性をもっている。ことにレヴィナス思想の核心である「顔」のテーマは、やはりすこぶる面白い。
存在の彼方へ(存在するとは別の仕方で)(1974)
第二の主著。「全体性と無限」あたりのレヴィナス思想に対するデリダの批判を受け、その思想はより複雑に修正された。
「全体性と無限」よりますますわかりづらいのだが、ここではレヴィナス的な文体がいよいよ炸裂する。
意味のつかみがたい部分も多いのに、不思議とこのエクリチュールは心をゆさぶってくる。
これは必死で取り組み、再度挑戦し、何度も喰らいつく価値のある本だろう。
暴力と聖性 - レヴィナスは語る (1987)
フランソワ・ポワリエによる短い「レヴィナス入門」に始まり、ポワリエによるレヴィナスへの長いインタビューがあり、最後におまけとして、レヴィナスのごく短い論文が収められている。
最初の「入門」は、レヴィナスの主な本をざっと読んだあとで、要点をまとめてみる目的で読むなら、大いに役立つかもしれない。
インタビューは興味深いが、ここにはあの「独特のエクリチュール」はない。