item 断想2017-4-2

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written 2017/4/2

 いろいろと書きたいことが溜まったがなかなかまとまらないし、一貫した文章にするのが面倒くさいので、断想を並べておく。

 先に書き始めて中断しているダンサブルな曲は、「Wiederholung」に似たエレクトリック・ポピュラーミュージックだ。これは音楽要素の「反復」を「幼稚だ」と嘲ったブーレーズやシュトックハウゼンのような知性、そしてそれを絶対の権威であるかのように崇めているゲンダイオンガクの先生たちを嘲るために書いた。中断しているだけだが、何となくこのまま未完で終わりそうな予感。単にそういうなりゆきになっただけ。

 エレクトリックな曲ばかり最近立て続けに書いてきたので、マリンバ2台とパーカッショニスト2名という構成で新たに書き始めたのは、新鮮だった。
しかし私は打楽器の知識が本当に乏しくて、楽器の使い方やら楽譜の書き方やらにさんざん苦労している。けれども、それを乗り越えられたら、エレクトリック&ダンサブルな一連の自作ビート音楽の、よりラジカルな姿として、こうしたフォーマットは私にとって大変有用かもしれない。
 そしてここでもまた、「反復」が重要な要素になっている。もともとマリンバのためのモダンな作品は一般にミニマル的な連続形が多いように思う。
 この曲はまもなく完成しそうだ。

 音楽における反復は幼稚というよりも、原初的であり核心である。
 人が音楽を音楽として認識するためには、拍節、リズム、音型、音階の反復が重要な手がかりとなっており、むしろ、あらゆる反復を取り去ってしまえば、音楽は成立しないだろう。
 反復を幼稚なトートロジー、無駄な時間の消費と考える連中は、音楽を情報理論におけるメッセージとか、文学的なものと勘違いしているのだ。音楽の地平はそもそも、それらとは全然別の所にある。
 Compositionとは、構成であり、シーケンスであり、配列の作法である。リズムやフレーズ等の反復はそれ自体が延々と自己増殖するオートポイエーシス・システムであるが、そこに変化がないわけではない。ちょっとした契機によってシステムは大きく変貌しうる。同じDNAをもった細胞が、各器官として多様な形態を構築するように、システムは自らの差異を創出する。Compositionは、音のオートポイエーシスを現前させ、これを解明しようとする試みだ。そこには自同性と差異との相互交換が見られる。Composerは交換-者でもある。



 先日ラップとピアノのためのデュオ作品を書いたのだが、またラップを使って書きたくてうずうずしている。
 ラップは反復的なリズムさえあれば可能なので、実はバックは無調でも何でもいいのだ。
 ピアノトリオの編成とか、あるいはドラムスが混じる編成でラップを使って書いたら面白そう。私自身がラップできれば手っ取り早いのだが、口がまわらないし声も悪いからなあ。



 ところで、無調というのは調性音楽の発展形である。
 無-調は、調性なくしてはありえない、対概念だ。それは西洋音楽の形態の進化にける必然的結果であり、そのストレスフルな響きは、現代社会によく似合っているから、私は好む。安易な「綺麗さ」は偽善的である。アウシュヴィッツ以降には。
 多くの民族・伝統音楽に見られるのは「音階のある音楽」であって、勘違いしている人が多いけれども、これは「調性音楽」ではない。ほとんどの民族音楽には和声の知的体系は存在せず、民族音楽に和声づけをした最近のアレンジによる音楽は偽物である。
 健康的な音楽には「音階」はあっても「和声」は無い。
 無-調が文明の病であるとしたら、そもそも調性音楽もまた、文明の病である。



 音楽の演奏家さんたちは、意外と功名心というか、上昇志向を持っていて、中には音楽上の探究心というより「有名になりたい」みたいな素朴な願望を持っている方もいるようだ。自分も若い頃は多少そういう野心を無意識のうちに幾らか秘めていたかもしれないが、最近になってようやく、有名になるとかそんなことはどうでもいいとか、自分のやりたいと思っていることと有名になったり大々的に評価されたいということとは別だとか、自然に構えられるようになった。そういう意味では、限定的に「不惑」になったか。

 作曲家系の人だと、音楽についてやたらとあれはダメとかいろんなリクツを開陳し続ける人を見かけるけど、ではそういう人の作品はどうなのか、と思っても楽曲を公開していなかったりする。リクツだけは好きなだけ吠えるけど、肝心の作品は「これから作るんだから」ということなのだろうか。



 それはそうと、日本の滅亡がいよいよ見えて来た。文科省などの官僚や政治家たちはみんな狂っていて、どうにも止まらない。「ニッポンすごい!」「ニッポンばんざい!」とか軽薄にわめきちらす一群の人々が、さらに国の滅亡に拍車をかけている。
 そしてほとんどの「普通の人々」は、何も見ず何も考えず、てきとうに日々を楽しんでいる。
 しかし背後の壁面が腐食して、どろどろと溶解し始めている。その溶けゆく腐敗臭が立ちこめ始めている。
 若者は今のうちに、海外を目指した方がいい。日本は間もなく、ぬるま湯でさえなくなるだろう。

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