プラモデルとしての音楽芸術
written 2006/12/13
子供の頃、プラモデルやブロック遊びが好きだった。
組み立てることにひたすら熱中していた。
先日、うつ症状に苦しみながら用事で玩具店を歩いていたとき、プラモデルコーナーにさしかかり、ひらめいたのだった。
音楽の創作もプラモデルを組み立てていたあの頃のように、無心に取り組んでみるとよいのではないか、と。
プラモデルは既存のパーツをマニュアル通りに組み立てるだけであり、そこには創造性がない、と人は言うだろうか。
しかし作曲をする場合にも、あらゆる部品をゼロから生み出している、などということはない。パーツはいつも既存のもので、それをうまく角度を変えたり、熱して折り曲げ変形させてみたりはする。が、素材はいつも既存のもの、眼前にあるものを使う。私にはそう思える。
いま書いている曲は、実にいろいろな要素の混合物=ミクスチュアだと、先日書いたとおりだ。
私のなかにある素材、私の生活を通り過ぎてゆく様々なジャンルの音楽たちの残像や匂いや、私の網膜への反映、指先に残った感触。そういった要素がめまぐるしく1個の作品に流れ込んでくる。
私はそれらを、「美」の感覚や自分の嗜好、思いつき、企みなどの基準に従って、くみ上げてゆく。
創作者の問題とは自己の書法にひそむ「癖」とかマンネリ、無意味な同一性から如何に解放され自由に指揮棒を振ることができるのか、ということにつきるだろう。
素材はそのへんにいくらでもあり、取捨選択は私が決定する。
私にとっての「美」とはなにか、この果てしない思考が最後には残るだろう。